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ドン・キホーテ放火現場視察 [名珍写真]

これは、「ドン・キホーテ浦和花月店」の跡である。

2004年12月13日午後8時20分ごろ、
さいたま市緑区中尾の「ドン・キホーテ浦和花月店」の寝具売り場付近から出火、
鉄筋コンクリート二階建て店舗延べ約2,240平方メートルが全焼した。
出火から約12時間後の14日午前8時40分ごろ鎮火し、
埼玉県警は店舗中央付近で3人の遺体を発見した。
ほかに男性従業員4人、女性従業員3人、消防隊員1人が、
煙を吸い込むなどして病院に搬送された。

そしてこれは、「ドン・キホーテ大宮大和田店」である。

同日午後10時40分ごろに、「店内から煙が出ている」と119番通報があった。
消防署員が現場に駆けつけたが、一階衣料品売り場の婦人服など約百二十着が焼失した。
けが人はなかった。

埼玉県警は翌月25日、
同店の火災時に腕時計などを盗んだとして逮捕、起訴された、
同市中央区大戸6丁目、無職渡辺ノリ子容疑者を、
現住建造物等放火未遂容疑で再逮捕した。

写真を見て分かように、
大宮大和田店は普通に営業を再開していたが、
浦和花月店はもう跡形もなかった。

亡くなった方のご冥福をお祈りする。

因みに、フセインも死んだ。

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浅間山荘事件現場視察 [名珍写真]

これは、浅間山荘である。

私達は、浅間山荘事件現場を視察してきた。

昭和47年2月19日午後3時過ぎ、連合赤軍の坂口弘、坂東国夫、吉野雅邦、加藤倫教と
その弟の5人は群馬県榛名山中の軍事訓練中、警察の包囲網が迫っていることを察知し、
3日間山中を彷徨い、長野県軽井沢町にある河合楽器の保養所「あさま山荘」に乱入した。

連合赤軍は、管理人の牟田泰子さんを人質に取り219時間の攻防を展開した。
あさま山荘は山の斜面に達つ建物で、正面入り口前の道路は狭く反対側は広大な斜面が
広がっており、機動隊が突入するには不利な条件であった。

連合赤軍は、ライフル銃や散弾銃で完全武装をしており、機動隊に向けて銃撃してきた。
このため機動隊も迂闊には近寄れず、人質の安否も分からない中、
催涙弾、放水で揺さぶるほか手立ては無かった。
篭城から4日目の午前11時過ぎ、
民間人の田中保彦が機動隊の警戒線を突如突破してあさま山荘に近づいた。
田中は連合赤軍に向かって「私は医者で新潟から来た」などと話しかけた。
連合赤軍の吉野は機動隊と勘違いして管理人室の押入れから射撃した。
田中は頭を撃たれて3月1日に病院で死亡した。

あさま山荘篭城10日目の2月28日、
篭城210時間を超えて人質の泰子さんは限界であると判断した警察は強行突破を図る。
午前10時、玄関前に横付けしたクレーン車が振り出すモンケンというビル解体工事に使う鉄球が、あさま山荘の壁を破壊する。
そこへ機動隊が突入し激しい銃撃戦が展開された。
午前11時27分、警視庁特科車輌隊の高見繁光警部が散弾銃で撃たれて即死。
同54分警視庁第二機動隊長の内田尚孝警視はライフル銃で狙撃され死亡。
同隊の大津高幸巡査は散弾銃で撃たれ左目が失明する重傷を負った。

機動隊は、犠牲者を出しながら山荘内のバリケードを突破し、
午後6時20分、5人が立て籠もっていた「いちょうの間」になだれ込み、
5人の逮捕と人質の泰子さんの無事救出に成功した。

私達が視察したのは、夜だった。
浅間山荘へ辿り着くまで、
細く、長い砂利道を、車でひたすら走った。
道にはいくつも穴が開いており、凸凹していた。
まるで、私達の行く手を阻むかのように。

周りは真っ暗で、道は凸凹で、
しかもあの浅間山荘事件の現場に向かっているということで、
非常に怖かった。

どれくらい走っただろうか、ようやく明かりが見えてきた。
結構な恐怖を感じていたが、着いてみると、
普通の民宿という感じで、
しかも乗馬もできるようなところだったので、ほっとした。
しかし、真っ暗闇から明るい車のライトが現れたわけなので、
山荘の中からはバレバレである。
不審に思われるに違いない。

ということで、看板の写真を撮り、早々と退散した。

因みに、ジャイアント馬場も死んだ。


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 [名珍写真]

これは、善光寺前の通りの店先にあった人形である。

実は、同じ学部に、この人形と酷似した人がいる。
その人のあだ名は、「指」である。
最初は、指輪を5つもつけていたことから、「フィンガー5」であった。
それから、「フィンガー」になり、「指」となった。
一時期、指輪を4つしかしていない時があり、
そのときは、「フィンガー4」と呼ばれ、略して「F4(エフフォー)」と呼ばれていた。

どれくらい似ているかというと、まず、顔が殆ど同じである。
もし「指」がこの人形と並んだら、恐らく私は見分けることが出来ない。

また、肌の色も、非常に似ている。
しかし、「指」の方がもう少し白いかもしれない。

そういえば、以前、「指」がこの人形のような髪形をしていた時があった。
また、この人形と同じく、紫の服を着ていた。

どうやら、この人形を意識していたようである。

因みに、今日はバイトで死んだ。
通常、昼帯(9時~14時)の売上は3万円前後であるが、
今日は6万円であった。
しかも、この大入りに洗米機の故障と米がかたく炊けてしまうというアクシデントが重なり、
最悪中の最悪であった。
死ぬかと思った。

最近は、土日の昼帯の売上が軒並み4万越えと、頗る好調である。
株価は、最初にゼンショーについての記事を書いた9月25日が1,384円、
2回目の11月9日が1,302円であったのに対し、
現在は1,395円まで上がっている。
まだ上がる可能性はある。


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松本サリン事件現場視察 [名珍写真]

1994年6月27日午後10時40分ごろ、
長野県松本氏深志1丁目に住む会社員の河野義行さんは、
妻の澄子さんと一緒に自宅1階南側の居間でテレビを観ていた。
これは、河野宅の玄関である。

突然、澄子さんが、気分が悪いと言い出した。
そのとき、自宅の北側の犬小屋辺りで物音がした。

外に出ると、2匹の愛犬が倒れて全身を痙攣させていた。
警察に知らせようと居間に戻ると、
澄子さんがあお向けに倒れ、全身を痙攣させていた。
すぐに119番通報した。

午後11時14分ごろ、救急隊員が河野宅に到着した時には、
義行さんと長女も苦しんでいて、救急車は家族3人を収容、病院へ搬送した。

午後11時48分、「開智ハイツ」の住人から、変な臭いがするという119番通報が入った。
これは、開智ハイツである。

翌28日午前0時5分、「松本レックスハイツ」の住人から、
友人が気分が悪いと言っているという通報があり、
近くの民家からも、気分が悪い、救急車を頼む、という電話が入った。
これは、松本レックスハイツである。

この集団ガス中毒事件は、死者7人、重軽傷者144人を出す大惨事となった。
被害の範囲は半径70メートルに及んだが、
死亡した人の全てが2階以上の住人だった。

7月3日午前9時、捜査本部は、記者会見で、
「サリンと推定される物質を検出した」と発表した。
ここで、マスコミはこの事件を「松本サリン事件」と名づけた。

サリンは、第一通報者の河野宅の周辺6箇所から検出された。

7月7日ごろから、河野さんを犯扱いする新聞記事、テレビ報道が始まった。

結局、河野さんは翌1995年3月20日の地下鉄サリン事件が発生するまで、
疑惑の人物とされた。

オウム真理教は、土地問題の訴訟で、
7月19日に長野地裁松本支部で予定されていた判決で、敗訴の可能性が高かった。
そこで、製造したサリンの効力テストを兼ねて、
教祖の松本智津夫が裁判官や反対住民への報復を計画し、
信者に命じて実行したとされている。

事件当日の6月27日午後4時ごろ、
実行部隊が山梨県上九一色村の第7サティアンから
2台の車に分乗して出発した。GO!!

岡谷市のドライブインで休憩していた時、
既に日が暮れかかっていた。
このままいけば、到着は夜になり、攻撃目標にしていた裁判所に人がいなくなると判断した新実が、
村井に住宅地図を示しながら、
「裁判所から400メートル離れたところに裁判官宿舎があるので
そこに変更しましょう」
と相談した結果、村井は承諾した。

午後10時前ごろ、噴霧車とワゴン車は裁判官宿舎から190メートル離れたスーパーの駐車場に入り、
2台の車に偽造ナンバープレートを取り付けた。
これは、そのスーパーである。

そこへサリンを噴霧する場所を探していた村井が戻り、
中川らに指示して、裁判官宿舎まで37メートル、
河野宅の敷地に隣接する駐車場に2台の車を停め、
午後10時40分ごろから約10分間、
およそ12リットルのサリンを大型送風機で噴射した。
これは、その河野宅の敷地に隣接する駐車場である。


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松本城 [名珍写真]

これは、松本城に行ったときの写真である。

松本城は、長野県松本市にある。
天守は国宝に指定されている。
全体的に黒いため、別名鴉(からす)城と呼ばれている。
昔は、深志城と呼ばれていた。
この城は、国指定史跡である。

松本城内に入り、城内を見て回っていたところ、
ぽつんと木製の市角錐が置いてあった。
これは、明らかにフリである。
私は、そのフリに答えて、この写真を撮った。

以前、このブログの中で、『千円札は拾うな。』の著者が社長を勤める
「ワイキューブ」という会社にエントリーシートを出して落ちた話をした。
そのエントリーシートには、自分の写真を3枚貼り、
自分を表現するという項目があった。
その3枚のうちの1枚が、この写真である。

この写真が落ちた原因なのだろうか……。

因みに、この写真を撮ったとき、
四角錐の角が肛門にぴったりフィットしていた。


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明治安田講堂 [名珍写真]

これは、東大の明治安田講堂である。

正式には、東京大学大講堂という。
収容人数は、1,144人である。

安田財閥の創始者、安田善次郎の匿名を条件での寄付により建設されたが、
神奈川県大磯の別邸で右翼に暗殺された安田を偲び、安田講堂となった。
東京大学建築学科の建築家、内田祥三(のちの総長)が基本設計を行い、
弟子の岸田日出刀が担当した。
1921年に起工、関東大震災による工事中断を経て1925年7月6日に竣工した。

1968年の東大紛争・東大闘争では、全学共闘会議によって占拠され、
最終的には機動隊により強制排除された。
その後しばらく閉鎖された後、1988年~1994年に改修工事が行われ再度供用されている。
1991年より卒業式が再び安田講堂で行われるようになった。

因みに、私の友達は明治安田生命から内定を貰っていた。
しかし、内定式は明治安田講堂ではなかったそうな。


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パルコート稲毛 [名珍写真]

これは、パルコート稲毛である。

パルコート稲毛とは、私が住んでいるアパートである。

高校3年の3月、大学の合格が決まり、1人で部屋を探しに行き、借りたアパートである。
合格発表日に大学まで合格発表を見に行き、そのまま部屋を借りて帰ろうとも思ったが、
もし落ちていたら飛行機代が勿体無いと思い、合格発表は郵送してもらった。

仲介は、親戚に紹介してもらった不動産屋にしてもらった。
親戚の紹介ということもあり、よくしてもらった。

5万円以下の物件を探していて、3つほどに絞ったが、
広い&安いパルコート稲毛に決めた。

未熟者の私は、大学からの距離や駅までの距離はあまり考えていなかった。
だから、学校からの距離は他の人よりも少し遠い。
しかし、運良く駅からは近い。
しかも、最寄駅が快速の停車駅なので、
就活にはかなり便利だった。

約3年半お世話になったパルコート稲毛とも、
あと5ヶ月ほどでお別れである。
もし千葉支店に配属になったとしても、引っ越す。
2階以上がいいから。

京成千葉線に乗っていると、京成稲毛-検見川間に、
パルコート稲毛とそっくりなアパートが見える。
本当にそっくり。
私は、それをパルコート検見川と呼んでいる。

因みに、パルコート稲毛Ⅱもある。

P.S.閲覧数8,000回突破ありがとうございます。

 


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東大赤門 [名珍写真]

これは、東大の赤門である。

加賀藩13代藩主前田斉泰は、1827年に11代将軍徳川家斉の娘溶姫を嫁に迎えた。
当時の慣わしとして、三位以上の大名が将軍家から妻を迎える際には、朱塗りの門を建てた。
東大の赤門は、往時の原型を残す唯一の門である。
屋根の上の棟瓦には葵の紋、軒の丸瓦には前田家の家紋梅鉢がつけてある。

因みに、大村小学校には黒門が残っている。
正式には、五教館(ごこうかん)御成門である。
五教館は、大村藩の藩校で、その起源は寛文10年(1670)に設立された集義館にさかのぼる。
五教とは、儒教の中に出てくる、
「君主と家臣との間には義がある。
 親と子には親があり、
 夫婦には別あり、
 年長のものと若い者の間には序列がある、
 友人同士には信がある」
という5つの教えを示している。

当初は、現在の大村公園内にあった。
その後、静寿園と改められ、また、寛政2年(1790)には、規模を大きくし、五教館と名を改めた。

五教館では、武士だけでなく一般の人々にも入学が許可された。
士、農、工、商の身分の違いが厳しかった江戸時代には珍しい教育であった。

今の場所に移転したのは、天保2年(1831)のことであった。
現在、県指定史跡となっている。

大村小学校では、卒業や入学する児童が通ることが長年の伝統となっている。

因みに、私は東大赤門には行ったが、焼肉赤門にはまだ行ったことがない。


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遭難 [名珍写真]

これは、樹海に迷い込んだ渡邉さんである。

私達は、興味本位で富士山の青木が原樹海へ入った。
奥へと進んでいると、急に尿意を催したので、私はそこで立小便をした。
すっきりしたところで辺りを見渡すと、渡邉さんが居ない。
そう、渡邉さんが樹海の中で居なくなってしまったのである。

渡邉さんは樹海の中で途方に暮れていた。
私は、渡邉さんを助けに行くか、引き返して警察に通報するか、迷っていた。
そして、気づいた。

自分も迷い込んでしまっていることに。

 


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旧上九一色村 [名珍写真]

これは、道路である。

私は、上九一色村へ行って来た。
上九一色村は、山梨県西八代郡にあった。
今年の3月1日に分村し、北部は甲府市、南部は富士河口湖町に編入された。
面積は86.59km²、人口は1,501人、人口密度は17.3人であった。
富士五湖のうち、精進湖と本栖湖は旧上九一色村内にある。
村の東部には、青木ヶ原樹海がある。

旧上九一色村は、1989年からオウム真理教が進出し、各所にサティアンを建設した。
そして、サリン製造など一連の犯罪の拠点となった。
1995年3月22日には、2日前の地下鉄サリン事件を受けて、警視庁の強制捜査が行われた。
同年5月16日には、麻原彰晃が逮捕された。
その後、サティアンはすべて取り壊された。

この事件の結果、村の名前は一瞬にして全国区なものになったものの、
そのイメージ低下に関係者は頭を悩ました。
イメージ回復のため1997年にテーマパーク「ガリバー王国」を誘致たが、
経営難で2001年に閉鎖された。

ところで、5の平方根=2.2360679…の語呂合わせは「富士山麓オウム鳴く」であるが、
当時を風刺したピッタリの語呂合わせとしてマスコミでも取り上げられた。

因みに、上九一色村に行った私は、オウム真理教信者となった。

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百葉箱 [名珍写真]

これは、百葉箱の脚である。

車で山梨県に向かっていると、突然、渡邉さんはブレーキをかけた。

「どうしたの!?」
「百葉箱が居たんだよ!」
「そんなバナナ!」

渡邉さんは、百葉箱のもとへ向かった。

実は、同じ大学に、百葉箱が居る。
「何をバカなことを言ってるんだ!」
そういう声が聞こえてきそうだが、居るのである。
居ると言っても、苗字が「百葉箱」なわけではない。
性質が「百葉箱」なのである。

彼女は、気温によって服の色を着分ける。
25℃以上の時は白、15~25℃の時はベージュ、15℃以下の時は黒である。
彼女の温度に対する着分け方があまりにも正確であった為、
「百葉箱」というあだ名が付いた。
これまで観察を続けてきたが、彼女の温度計が狂った日はない。

困ったことに、渡邉さんは本物の百葉箱を人間の百葉箱と勘違いをしていた。
この写真は、「偶然会ったから記念写真を撮りたい!」ということで撮った1枚である。

私は、何故渡邉さんが本物の百葉箱と人間の百葉箱を間違えたのか、
ずっとわからなかった。
しかし、最近ようやくその答えがわかった。

私が間違っていたのである。

P.S.閲覧数5,000回突破ありがとうございます。


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富士山 [名珍写真]

これは、富士山五合目の写真である。

富士山五合目に行ったのは、去年の5月のことであった。

五合目まで車で行ったのだが、少し登ると霧が出てきた。
そして、その霧はどんどん濃くなっていき、
数メートル先までしか見えない状態にまでなった。
ここまで濃い霧は初体験であった。

五合目に着き、温度計を見ると4℃。
春物の服を着ていたので、寒さで凍え死ぬかと思った。

五合目でも、まだ雪が残っていた。
まさか5月に雪を見るとは思わなかった。

富士山は、三期の噴火活動を経て形成された。
西に天子山地、北に御坂山地、東に丹沢山地に囲まれた盆地に、
小御岳火山の活動、古富士火山の活動、新富士火山の活動が起こり、
現在の富士山となった。
最後の新富士火山の活動は今から約1万4千年前に起こり、
1万年前ころから少しずつ噴火の規模を小さくして、
8千年前ころにはほぼ今の富士山が形づくられた。
そして、1707(宝永4)年の宝永山の噴火を最後に活動を休止している。

因みに、写真では渡邉さんが2枚の板に挟まれているが、
実際、人間関係でも板挟みになっていた。

 


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千葉ポートタワー [名珍写真]

これは、千葉ポートタワーである。

千葉県民500万人突破を記念して、1986年に国際港千葉港に建設された展望塔である。

しかし、タワーの設置者である千葉市の「千葉ポートタワー設置管理条例」によれば「国際港千葉港のシンボル及び港と海に親しめる観光施設として」建てたことになっており、県人口500万突破よりもそちらに意義が置かれている。

軒高は125.1メートルである。

展望室からは、幕張新都心、JR千葉駅・京成千葉中央駅周辺、千葉大学付属病院、東京湾全体、横浜、東京タワー、都庁ビル、ディズニーランド、富士山、東京電力千葉火力発電所の煙突、東京湾アクアラインを見ることができる。

夜には、ライトアップされた東京タワー、葛西臨海公園のイルミネーション、千葉県下・東京・テーマパーク・千葉マリンスタジアムの花火を見ることができる。

千葉ポートタワーは、ハーフミラーガラスで覆われている。このガラスは、スパッタリング製法という金属原子をガラス表面に付着させる方法により、鏡のように表面は滑らかで美しく仕上げられている。このため、タワー壁面は晴れた青空の日には青く、夕暮れ時には夕日を写し真っ赤に染まり、季節や時間によって大きくイメージを変える。

ガラスの枚数は展望室のガラスを含め5571枚で、一枚の大きさは横1,375mm×縦875mmである。

毎年11月中旬から年末にかけてはタワー壁面にクリスマスツリーが現れる。高さ100メートルはギネスブックにも掲載された。

周囲は、千葉ポートパークとして芝生広場や人工砂浜等が整備されている。

なお、タワーの運営管理は市から委託を受けた財団法人千葉市観光協会が行っている。

私も千葉ポートタワーのように夕日を浴びてこよう。


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千葉都市モノレール [名珍写真]

おひひひ。

これは、千葉都市モノレールの、端である。

千葉都市モノレールは、千葉都市モノレール株式会社が運営している。
千葉都市モノレール株式会社は、第三セクターの鉄道会社である。
本社は、千葉市稲毛区にある。

千葉都市モノレールは、レールに吊り下がった形で走っており、
懸垂式モノレールと言われる。
総営業距離は15.2kmで、懸垂式モノレールとしては世界最長である。
ギネスブックにも掲載されている。

1日当たり約45,000人に利用されているが、
減価償却費が嵩み、赤字経営が続いている。

現在、県庁前駅から千葉大学付属病院や市立青葉病院方面への延伸が計画されている。
この延伸計画は、個人的には嬉しいが、
黒字化できるほど乗客数が増えるとは思えない。

当初の、稲毛を通って幕張まで通すという計画が頓挫したことが悔やまれる。



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幕張 [名珍写真]

上がワールドビジネスガーデンで、下が幕張プリンスホテルである。
これらは幕張新都心に聳え立つ。

ワールドビジネスガーデンは、35階建のオフィスビルである。
この写真は、幕張プリンスホテル最上階から撮影した。

幕張プリンスホテルは、地上50階、高さ180mの超高層ホテルである。
ホテルのみのビルとしては日本一である。
また、千葉県一の高さを誇るビルでもある。

幕張プリンスホテルは、経営再建中の西武鉄道からホテル経営のアパグループに
約132億円で売却される。
06年6月末までは幕張プリンスホテルとして営業する。
その後は、ホテルと娯楽施設が融合したビルになる。

そういえば、「幕張」という漫画があったなぁ。



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ツタンカーメン [名珍写真]

これはツタンカーメンである。
去年、ドライブで静岡に行った。
「蝋人形美術館」なるものがあったので、入ってみた。
すると、坂本竜馬やら昭和天皇やら現在の天皇やら、
まことにそっくりに作られた蝋人形があった。
是非カメラに収めて帰りたかったが、残念ながら撮影禁止であった。
その代わりに、別館は撮影可であったので、
別館にあったツタンカーメンを撮って来た。

ツタンカーメン(紀元前1347年~1338年)は、
その墳墓が盗掘されなかった唯一のファラオ(古代エジプト王)である。

別館に入ってこれを見たとき、同じ学科の女の子だと思った。
なぜならば、彼女は実にツタンカーメンに似ているからである。
しかし、こんなところに彼女が居るはずがないと思い、目を凝らして見ると、
肌の色が微妙に違うことに気づいた。
やはり彼女ではなかった。

彼女には、間違ってしまったことに対して、お詫び申し上げたい。

P.S.閲覧数3,000突破ありがとうございます。


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水族館 [名珍写真]

これは、おじさんである。
大分県の「うみたまご」という水族館で魚を見ているおじさんである。
このおじさんを狙って撮ったわけではない。
「ニモ」を撮ったら、ニモよりも目立っておじさんが写ってしまったのである。

ニモは、「カクレクマノミ」というスズキ目スズメダイ科の魚である。
日本では、奄美大島以南のサンゴ礁のある地域に生息している。
ハタゴイソギンチャクやセンジュイソギンチャクと共生する。

それにしても、このおじさんは実につまらなそうである。
子供に無理やりつれてこさせられたのであろう。
しかし、ここで注目すべき点がある。
お父さんを連れてこさせた子供も、
水族館に来れたにもかかわらずむすっとしているのである。
何故か。

その答えは1つしかない。
それは、子供が駄々をこねて水族館に行く事になったものの、
水族館に着くと、父親が、
「あ~ぁ、来たくなかったのにな」
「あ~ぁ、来たくなかったのにな」
と、愚痴をもらし続けるのである。
この親子にとっては、最も楽しくなかった1日になったに違いない。

最後に、もう1つ言っておかねばならないことがある。
おじさんの向かって左に、女の子の霊が写っている。



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タグ [名珍写真]

これは、タグである。
「タグ」とは、中学時代の友達である。
もちろん、これを撮ったのは今年である。

タグは、中学時代、「絶対早稲田に行く」と言っていた。
その理由は只ひとつ、広末涼子が居たからである。

タグは、中学を卒業すると、瓊浦高校に進学した。
剣道の特待生で。
毎日長崎まで電車で通っていたのだから、尊敬する。
合格後、クラス分けの試験があった。
早稲田を目指すのだから、当然進学クラスに入らなければならない。
しかし、あえなく撃沈。
笑い話となった。

タグにはもうひとつ、滑稽な特徴がある。
それは、氏名の漢字を全て小学1年で習うということだ。
「田」と、「口」と、「一」と、「男」である。
なんと単純な男だ!

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大村 [名珍写真]

これは、大村駅付近の風景である。
いま、「大村駅」といったが、神戸電鉄粟生線の「大村駅」ではなく、
JR大村線の「大村駅」である。
もし、「大村駅」と聞いて神戸電鉄粟生線の「大村駅」を思い浮かべ、
「神戸電鉄粟生線の『大村駅』前はいつのまにこんなに発展したんだ!」
と驚いた方がいたら、申し訳ない。

大村駅の駅舎は、大正7年に建てられた、きりりとした洋館の木造駅舎である。
大村はかつての軍都であり、軍の会った街にはこのような駅舎が造られることが多い。

何故この写真を撮ったかというと、
大村にこのような高層マンションが建っていることに驚いたからである。
この写真だけ見ると、15万都市には見える。
よね?渡邉さん。


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パンツ一丁 [名珍写真]


これは、キャンディーである。
今、これを読んでいる人のうち、殆どの人が騙されている。
実は、これはキャンディーなどではない。
枕である。
キャンディー型枕である。
万が一、今騙されなかった人がいるならば、敬意を表したい。
しかし、まさかいるまい。

このキャンディー型枕は、インフレの冬合宿で泊まった「大正館」にあった。

私は、軽量化のため、タオルやパジャマなど、一切持っていかなかった。
しかし、大正館には、タオルやパジャマなど、一切なかった。
さすがに、タオルがないと風呂にも入れないので、店を探しに出たところ、
卸売りスーパーがあった。
運良く、タオルが売ってあった。
フェイスタオルしかなかったが、十分だ。
しかし、さすが卸売り。
10枚パックしかない。
しかし、買うしかないので、レジへ持っていった。
すると、ばら売りもできるということだったので、5枚だけ買った。
これでタオルは何とか大丈夫だが、パジャマが。
上は何とかトレーナーがあったが、下がない。
毛布があるから大丈夫か。
下は、パンツで寝た。

この合宿は、サービスの悪い旅館に泊まったおかげで、
3泊4日で1万円もかからなかった。
ものすごい激安旅行だった。


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 [名珍写真]

これは、インフレの冬合宿でスノボをしている時の写真である。

滑っていると、人が倒れているのを見つけた。
近づいてみると、それは渡邉さんであった。
「渡邉さん!」
返事がない。
ピクリとも動かない。
すかさずカメラを取り出した。

この青いウェアーは、レンタルのものである。
私も同じウェアーであった。
私たちが利用したレンタル店のおじいさんは、
とても優しそうな顔をしていた。
これ以上優しそうな顔はないぐらい。
しかし、超適当な人で、品物も超古かった。
どのくらい適当かと言うと、その辺にあるボードを超適当に渡された。
明らかな女性ものを渡された人もいた。
どのくらい古かったかと言うと、スキー靴は超臭かった。

しかし、あの優しそうな顔を見ると許してしまう。
罪な男よ。


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インフレ [名珍写真]

 
これらは雪国の写真である。
場所は、新潟県南魚沼郡塩沢町の石内丸山スキー場付近である。

塩沢町は、先月1日に南魚沼市に吸収され、現在は南魚沼市になっている。
その南魚沼市も、昨年11月1日に六日町と大和町が合併して南魚沼市となったばかりであった。

左の写真は、夜行バスから降りて初めて撮った1枚である。
自分の背丈よりも高く積もった雪を見て、思わずシャッターを切った。

右の写真は見ての通りであるが、まさに雪国を象徴する景色であり、
感動を覚えた。
因みに、左が渡邉さん、右が日野自動車である。

新潟に行った目的は、スキー&スノボである。
とはいえ、スキーをしたのは小林君のみであり、他の4人はスノボをした。
1人スノボからスキーへ心変わりしたのもいた気がするが。

何のメンバーで行ったかと言うと、スキー&スノボのサークル、「インフレ」である。
インフレは、年に1度しか活動していない。
今回は2度目であった。
しかし、私は今回が初めてであった。
いわゆる、「処女インフレ」である。

このサークル名の由来であるが、昨年の合宿で、富士本君がインフルエンザに感染したことから、
この名がついた。
しかし、インフルエンザだけではない。
山菜そばを食べた渡邉さんとヒロシが、食中毒にかかった。
ヒロシは軽症であったが、渡邉さんは3日間苦しみ続けた。
実家から千葉の家まで母親が駆けつけるほどであった。

来年の冬合宿は、皆就職活動があるため行われないだろう。

追伸
総閲覧数が2,000を突破しました。
ありがとうございます。


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ツーショットダイヤル [名珍写真]


これは、今年の成人式の日に行われた大高の同窓会の時に、
○吉先生と撮った写真である。
レアもの。
向かって右側が私で、左側が○吉先生である。
はじめ、左側が私ではないかと思ったが、よく見ると右側が私であった。

○吉先生は、学生時代はバスケットの国体選手か何かだったとか。
とてもそうは見えない。

○吉先生は、神社なんかでおみくじを引いた時は、
絶対「吉」の中でも末等しか出ないとか。
ありえねぇ。

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一本松通り [名珍写真]


ひっひ~♪

これは、地図上の一本松通りである。
この地図は、成田駅のロリータにある。

何故この写真を撮ったかというと、
同じ学科に一本松さんがいるからである。
彼女は、「一本」と呼ばれているようだ。
噂によると、「一本」にシャーペンを二本貸してと頼んでも、
一本しか貸してくれないらしい。

それにしても、いつか一本松さんと一本松通りを歩いてみたいものだ。


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相談 [名珍写真]


これは、今年の正月に渡邉さんちに行った時に、鏡餅が置いてあるテーブルを撮ったものである。
偶然にも、鏡餅が写っていた。
なんとこの鏡餅、みかんより小さいのである。
いや、鏡餅よりも大きいみかんを置いた渡邉さんが悪いのか。
これは難しい問題である。

みかんより小さい鏡餅が悪いのか、
鏡餅より大きいみかんを置いた渡邉さんが悪いのか、
皆さんの意見を乞います。

famima.com


伊香保 [名珍写真]


おっひひ~。

これは、群馬県北群馬郡伊香保町の見晴展望台で深呼吸をするW邉さんである。
ヒロシの実家から逃げるように伊香保に向かった後の写真である。
見晴展望台は、広重が描いた「江戸伊香保八景」にも登場の展望地である。
高崎市街や赤城山を見渡すことができる。
景色を見て、関東平野の広大さに絶句した。
それが北関東の一部に過ぎないことを知り、気絶しそうになった。

伊香保温泉は、去年の8月に一部旅館による温泉の不当表示が問題になったところである。
榛名山系の二ッ岳の爆発に始まるといわれ、約2000年前から湧き出ている温泉である。
万葉集にも詠まれている程の名湯である。
リュウマチなどの湯治に利用され、関東屈指の温泉地として浴客の絶える事がない。

それにしても、W邉さんの深呼吸はちょっと上を向き過ぎではないか?



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臍地蔵 [名珍写真]


はろ~。

これは、臍地蔵である。
右下にいるのは、臍地蔵を見上げているW邉さんである。
写真右に写っているのは、臍石である。
これは、坂上田村麻呂が東征の帰途に「日本の臍石」と定めたと言い伝えられている、
日本の中心標である。
群馬県渋川市寄居町にある。
臍地蔵の臍をなでると、子宝に恵まれると言われている。
毎年7月には、「へそ祭り」が行われる。

「日本の中心」と述べたが、坂上田村麻呂がここで臍に似た石を見つけ、
蝦夷地から来るとここが京都への半ばとなるので、日本の中心としたという伝えがある。
したがって、ここが日本の中心とするには疑問がある。

それにしても、W邉さんの見方は変である。


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気まずさ1000% [名珍写真]


おっひ~。

これは、○上商店の車である。
○上商店は、○之条町の下水道工事指定店になっている。
ドライブで群馬まで行った時に、
友達の実家を写真に収めて友達をびっくりさせるつもりであった。
住所は把握している。
しかし、見つからない。
本当に見つからない。
見つけきれずに近所をうろうろしていた時に、
この車を発見した。
近くには○上さんが多いと聞いていたので、
これが友達の実家の車であると確信は持てなかったが、
とりあえずフラッシュをたいた。
近所の風景は撮ったし、友達の実家の車らしきものも撮ったから、
もう諦めて伊香保温泉に向かおうとしたその時、
この車に向かってくるおじさんが登場した。
もしこの車が友達の実家の車ならば、
この人は友達のお父さんである。
どうしようか。
話しかけようか。
少しためらったが、気がつけばその人の方へ向かっていた。
「あのぅ、○上ヒロシをご存知ですか?」
「ん?うちだけど?」
「あ、そうですか!僕、ヒロシ君の大学の友達なんですよ。」
「そうなんだ。」
「伊香保温泉に行くんですけど、ちょっと寄ってみようと思って…。」
「そうなんだぁ。ヒロシは来週帰ってくるよ。」
「あぁ、そうなんですか。」

気まずさ1000%だった。
気さくな人だったら一緒に写真に写ってもらおうとか思ってたが、
とてもそんな雰囲気ではなかった。
ヒロシが来週群馬に帰ってくるとか、どぉでもいい会話もしてしまったし。
そして、逃げる気持ちでその場を去った。
最初友達を呼び捨てにしてしまった事も、失敗したと思った。
旅の恥は掻き捨てだが、酷過ぎた。

千葉に帰り、ヒロシに近所の写真や○上商店号の写真を見せたが、
予想を下回るリアクションだった。
「懐かしい。」
それだけかよ!
家が見つからなかったことを言うと、見つからないはずがないと言う。
次回新潟に行く時にでも、是非リベンジを果たしたい。
リベンジを果たした暁には、ここで皆さんに発表したいと思ふ。
乞うご期待。


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千葉県最西端 [名珍写真]


これは、心地よい海風を浴びている私である。
場所は、千葉県館山市の洲崎(すのさき)である。
洲崎は、千葉県最西端の地である(島嶼部を除く)。
千葉県最西端には、野田市(旧関宿町)が肉薄している。
ほんの僅かな差である。
多くの人が、最西端は浦安市ではないかと思うかもしれない。
実際私たちも、地図で確かめるまでは浦安が最西端だと思っていた。
これは、野田市と館山市の存在感の薄さが原因ではないだろうか。
台風が接近すると、NHKでは洲崎漁港が中継される。
洲崎は、実際、ゴミやワカメが散乱していて、よっそわしかった。
しかし、壱岐市にある「鬼の洗濯岩」みたいに岩がきれいに並んでいて、
そこはいい景色で、行った甲斐があった。
私たちは千葉県の東西南北端すべてを制覇したが、この時分はまだ
野田市関宿町を残していた。
因みに、最東端は銚子市犬吠埼、最南端は白浜町野島埼である。
よく、千葉県最南端は館山市だと思われがちだが、
館山市は最南端ではなく、むしろ最西端であるという事実は、重要だ面白い。


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お詫び [名珍写真]


HISASHI。
これは、ペリー記念館のあるペリー公園に立っている石碑を見上げるW邉さんである。
ちょっと大袈裟過ぎはしないか。
この石碑には、「北米合衆国水師提督伯理上陸記念碑」と記されている。
1901年建造。
碑文は伊藤博文の筆による。
以前、当ブログで、「この『ペリー記念館』は、何故か浦賀にあった」と書いたが、
それは真っ赤な嘘であった。
ペリー記念館は久里浜にある。
誠に申し訳ない。
心よりお詫び申し上げます。
私は、この責任を取って、しばらくの間ブログの更新を自粛することも検討しております。
ブログの更新を自粛するに至った場合、当ブログの大ファンの皆様方には
多大なご迷惑をおかけすることになってしまいますが、
何卒ご了承いただき、再び更新する時まで、温かく見守ってくださいますよう、
お願い申し上げます。


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